なにゆえこのサイトを作ったのか?


大きくわけると3つの理由からです。

1)磯野テルオ氏の応援
2)お出かけリスト、映画リスト作成
3)自分のため

1)については説明はいらないですね。
2)もそのまま言葉通りです。
3)について補足説明をしときましょう。楽しい話でもないので読まなくていいです。自分のためなんで。

 今、私は取材をして文章を書くという仕事をしています。誌面を作る編集者のようなものです。その業務でお金(=給料)をもらっています。お金は自分の働いた代価として会社からもらいますが、そのお金は得意先から発注される仕事をきちんとこなして支払われる売り上げです。
 何が言いたいのかというと、お金をもらっている以上、先方の要求に基づいた仕事をしなくてはいけないのですよ。絶対、自分の意見が正しいと思っても、それを押さえなくてはいけないこともあるわけです。新人の頃、営業部にいた私に先輩は言いました。「3年目までは外でケンカしてきても、うちらがフォローしてやる。」トラブルを起こしたときも、この言葉通りに助けてもらいました。
 でも、もう自分でカタをつけなくてはいけません。なるべくならケンカせずに、いかに相手を説得するか。これがとても難しい。諦めたくなるくらいに面倒。とくに、私の得意先の担当者はとっても偏屈。社内のいろんな人に言われました。「あの人は難しいでー。」ほんまにやっかいな人ですわ。
 読む人にとったら絶対にこっちのほうがいい!とどれだけ私が力説したって、得意先に気に入られなければ、その人が書き直した、かたくるしい読みにくいわかりにくい文章が活字になってしまうわけです。どれだけ自分が確信を持って説得しても。ど
れだけいい誌面を作ろうと努力しても、得意先の胸先三寸なわけです。…いかんいかん、愚痴モードだ。
 かなり虚しいです、最近。仕事の面白さよりも、脱力感のほうが強いのです。かなりやばいのです。やりがいが、私にとって仕事をするうえで重要な要素であるやりがいが、ほとんどないのですよ、その媒体に関して言うと。日々、勉強ってことで他の作業に時間を費やすように努力してますけどね。
 くそー、権限がないのはもどかしいです。その分、責任も少ないですが、なにより不自由です。
 前置きが長くなりましたね。で、私は考えた。自分の言葉を発していかなければこの虚しさは消せない。そして何も変わらない。数年後の自分が、いや数日後の自分がこの文章を読んだときに、なんて青いんだと笑うかもしれない。見ることすら恥ずか
しいかもしれない。でも、書いておくべきじゃないかと。
 この数年が、人生においても仕事においてもかなり重要な日々だと思うのです。なんとなくだけど。将来の夢が叶うかどうかは、この数年のふんばりですべてが決まるような気がするのです。

 そして、思っていることを文章にするということは自分の考えをまとめることにつながります。
 例えば、意味もなく悲しかったり、つらかったり、イライラすることがあります。なんでやろう。自分でもよくわかんないけどしんどい。そんな時でも、私はmacちゃんに向かいます。
 なんだかつらい。なぜなんだろう?
 そういう自分の気持ちを文章で表現すること、で頭のもやもやが取れていく気がするのです。

 だから、このサイトは自己満足的要素もかなり強いと自覚しています。理屈っぽいかもしれません。すでにこの文自体が理屈っぽいし。
 異論反論もあるかもしれません。
 でもいいんです。自分が一番大切ですから。

(2001.01)


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